が消えている
男性は失望した様子で礼を述べると、そこから離れた。そしてスーパーマーケットのほうへ歩いていった。同様の質問を繰り返すつもりなのだろう。
迷子らしいな、と昭夫は察した。七歳の女の子が、この時間になっても家に帰らないのなら、心配して駅まで探しにくるのも当然だろう。あの男性はこの近くに住んでいるに違いない。
ようやくバスが来た。列に従って昭夫も乗り込んだ。バスも混み合っていた。どうにか吊革を確保した時には、先程の男性のことは忘れていた。
バス停まで約十分間バスに揺られ、昭夫はそこからさらに五分ほど歩いた。一方通行の道が碁盤の目のように走っている住宅地だ。バブル景気の頃は、三十坪程度の家が一億円の値をつけた。あの時に何とか両親を説得して家を売っておけば、と今でもまだ悔いている。一億円あれば、介護サービス付きの老人用マンションに二人を入れることができた。残った金を頭金にすれば、昭夫たちも念願のマイホームを手に入れられたかもしれない。そうしていれば、今のような状況にはならなかっただろう。もはやどうしようもないとわかりつつ、考えずにはいられなかった。
昭夫が売りそびれた家の門灯は消えていた。錆《さび》の浮いた門扉《もんぴ 》を押し開き、玄関のドアノブを捻った。だが鍵がかかっている。珍しいこともあるものだと思いながら、自分の鍵を取り出した。戸締まりにはいつもうるさくいうのだが、八重子がきちんと施錠していることはめったにない。
家の中はやけに暗かった。廊下の明SmarTone 上網かりからだ。一体何をしてるんだ、と昭夫は思った。人の気配がまるでなかった。
靴を脱いでいると、すぐそばの襖《ふすま》がすっと開いた。ぎくりとして彼は顔を上げた。
八重子が緩慢な動作で出てきた。黒のニットを着て、デニムのパンツを穿《は》いている。家にいる時、彼女はめったにスカートを穿かない。
「遅かったのね」けだるいような口調で彼女はいった。
「電話の後、すぐに会社を出たんだけど──」そこまでいったところで声を途切れさせた。八重子の顔を見たからだ。顔色が悪く、目が充血している。その目の下には隈《くま》が出来ており、急に老け込んだように見えた。
「何があったんだ」
だが八重子はすぐには答えず、ため息を一つついた。乱れた髪をかきあげ、頭痛を抑えるように額に手をあててから、向かいのダイニングルームを指差した。「あっちよ」
「あっちって……」
八重子がダイニングルームのドア網球肘を開けた。そこも真っ暗だった。
かすかに異臭が漂っている。キッチンの換気扇が回っているのはそのせいだろう。臭いの原因を尋ねる前に、昭夫は手探りで明かりのスイッチを入れようとした。
「点《つ》けないでっ」小声だが厳しい口調で八重子がいった。昭夫はあわてて手を引っこめた。
「どうしたんだ」
「庭を……庭を見て」
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