べた形跡も無

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べた形跡も無



 家の前で携帯を開いてから、約束の時間が大幅に過ぎていることに気付いた。きっと、健人のことだから、言った時間に帰ってこなくても、知らん顔をしているような気がして歩はそっと扉を開けた。
 出来るだけ約束は守りたかったが、花火をしていたら帰ることを忘れて夢中になってしまった。リビングに電気が付いているのを見て、歩は静かに家へと入る。足音を立てない様、忍び足で廊下を歩き、リビングの扉を開けるとソファーで健人がテレビを見ていた。
「た----……」
 ただいまと言おうとした声を、歩は必死に抑えた。右手で口を押さえて、肩が上下に動いている健人にそっと近づく。上から覗き込むように健人の顔を見ると、瞼は閉じられていて、すやすやと寝息を立てていた。良く良く考えてみると、健人は朝早くから洗濯などをしていたような気がする。それに家の中の掃除だって、午前中からやっていた。その疲れがたまってしまったのだろうと思い、起こさないようそっと離れた。
 水を飲もうと思って、冷蔵庫を開ける。冷蔵庫の中段に置かれた春雨サラダが目に入り、中華を作ってくれと頼んだことを思い出した。振り返ってコンロを見ると、フライパンの中にはリクエスト通り麻婆豆腐が作られている。食く、ぽつんと置かれている麻婆豆腐を見つめてから、ソファーで寝ている健人に目を向けた。
「……もしかして、待っててくれたの?」
 そう口に出してみたが、信じられなかった。歩のことを嫌っていて、見ているだけで憎いと言った目をしていた健人が、帰ってくるのを待っていてくれるわけがない。ここ最近、話しかけたら話すようになってくれたことだって、少し可笑しいなと思っていたのだ。それは自分も一緒で、歩はガリガリと頭を掻き毟る。
 昨日から、可笑しいことは分かっていた。停電して真っ暗になった家の中で蹲っていた健人を見てから、健人のことが放っておけなくなった。家の中に居ることも辛いが、健人から離れるのも少し辛く、何を考えているのか分からなかった。考えれば考えるほど、思考が混乱するから、思った通りに行動してみた。すると、健人の態度も変わっていたので、物凄く驚いた。
 話しかけても無視されると思っていたのに、健人は聞かれたことはちゃんと答えてくれる。それが嬉しくもあり、苦しかった。
 健人が、何を考えているのか分からない。
 冷蔵庫の扉を閉めて、歩はソファーで寝ている健人の所へ向かった。近くで立っていても、熟睡してしまっているのか、健人が目を覚ます気配は無い。背もたれに深く凭れて、足をだらんと伸ばしている姿は、昼寝をしているようにも見えた。
「……健人」
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